ヒロセ・コサック

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神よ、我がソビエト連邦を返せ!

 神よ、我がソビエット連邦を返せ!

 1993年のある夜に、ロシア詩人ボリス・プリメロフ(Примеров, Борис Терентьевич)は自分の新しい詩『祈り(Молитва)』にこう叫んでいた。プリメロフはソ連時代に当局の批判者として活躍していたが、ソ連が崩壊した後の地獄ごときロシアの状況を見て、自分がエリツィンに騙されて、自らの手で母なる祖国を解体させたことを気づいた。1995年、もうエリツィン政権を倒す見込みがないと思ったプリメロフを自殺した。

 私のロシア語がまだまだ初心者レベルに過ぎない、この詩を和訳することはとてもできない。一応ここにロシア語原文のリンクを張っておいて、もしどなたが和訳していただければありがたいと思う。それに、もし私と同じように多少ロシア語を読める方がこの記事を読んだら、ぜひ辞書を引くながらもこの詩を読んで、祖国を失った詩人の絶望と無力感を味わってください。

http://www.rospisatel.ru/primerov-stihi.htm

 しかし、我々の祖国は決してソ連ではない。だって、労働者に祖国はないもん(笑)。では、なぜ我々ソ連ヲタクが今日にソ連を思い、讃え、そしてソ連の崩壊を記念するのでしょう?

 この問題の答えは多分人によって変わるんでしょう。僕の場合では、ソ連の崩壊とともに、その特有な美学も葬られて、再生不能資源となったことが、最も悲しむべきだと思う。ユーチューブに探せば、ソ連の軍歌はいくらでもある。しかし、ソ連を崩壊した後、このような歌と合唱を再び作ろうとしている編曲者や団体は果たしているんでしょうか。ロシア連邦時代の赤軍合唱団もかつての自分を超えることができなかったし、まして2016年にシリアへ向かう途中に墜落事故が起こって、ほぼ全滅してしまった。赤軍合唱団が全滅した後の今、ソ連の軍歌の合唱を再び再現できるグループ存在するかどうかすら疑わしい。

 ソ連軍歌の現状は、まさにソ連の美学全体の現状を示している。創作者が消え、資源も時とともに消えていく。もちろん、ソ連美学を継ぐ二次創作が存在するが、それはあくまでも一次創作に対する再編集であり、一次創作が増やさない以上、二次創作の死亡も単なる時間の問題に過ぎない。しかも再編集されるたびに、もとの美しさと情報が歪まれ、やがて原作と全く別のものになる。このような状況はもはやredditなどのサイトに珍しくない。

 しかし、ここで、「なぜソ連の美学は鑑賞する価値があるか」や「なぜソ連の美学は今の時代に新しく創作されないか」と聞かされるかもしれない。

 まずソ連美学の価値を解説しよう。この解説は二番目の問題の答えにもなっている。一言で言えば、ソ連美学の中核は究極的な理想主義と究極的な実用主義コントラストにある。全人類の為に宇宙を開拓する一方、月面着陸の為に開発したN1ロケットは粗暴な極まり、手元にある使える技術を組み合わせて、やがて第一段でのエンジンの数が30基にも及んだ。モスクワ市は匹敵できないほと美しい地下鉄を持ちながらも、その地面は長く醜くて窮屈な「フルシチョフのスラム(хрущёвка)」に長く支配されていた。

 遡ると、ソ連の理想主義の源は言うまでもなく、マルクス主義イデオロギーによるものだが、それだけではない。ロシアの内部には古くから伝統を重んじるスラブ派と全面的な西洋化を提唱する西欧派の紛争があった。草創期のボリシェヴィキも、その西欧派の一つとされている。彼らは西欧の前衛文化を積極的に受け入れ、自国での実現も試みた。その代表となっている、というより自分が一番好きな作品はウラジーミル・タトリンの建築デザイン(実現できなかった)第三インターナショナル記念塔(Башня Татлина)やコンスタンチン・ユオンの絵「新しき惑星(new planet)」 が挙げられる。最後、ソ連時代の前半は戦争の影響を除くと、全体的に極めて甚だしい経済成長を成し遂げたことも、理想主義の原因の一つと思う。農民の家に生まれ、技術教育を受け、そして空軍に入隊したガガーリンはやがて人類初の宇宙飛行士となった。生まれた17年後宇宙へ飛び立ったガガーリンが生活していたロシアは、彼が生まれて17前にはまだ飛行機すら珍しかった「帝国主義の鎖の最も弱い環」だった。こんな激しい成長に生活すれば、誰だって理想主義者になるんでしょう。

 理想主義の原意と対応して、ソ連実用主義はまず共産主義理想の破滅から生み出した。一次大戦の後に各国で起こった革命と暴乱はやがて収まれ、ボリシェヴィキが待望していた世界革命は到頭実現できなかった。この後のポーランドソビエト戦争に、「赤いナポレオン」の軍隊がワルシャワ城の前に撃破され、革命はロシア帝国の領土を超えることすら叶えなかった。それを見届けたスターリンはあの時から、ソ連による世界革命が不可能であることを感じたではないか。ロシアの土に留まった革命は、しょうもなく後進なロシアに腐食され、かつて西欧派だったボリシェヴィキはやがてスターリンの手によってスラブ派に転身した。皮肉にも、今のロシア連邦保皇派にはスターリンを讃えるやつも結構いるらしい。そして国際主義の理想にロシア民族主義の補強が行われ、前衛文化も社会主義リアリズムに退化していた。ポーランドソビエト戦争はボリシェヴィキのリーダーたちをスターリンモロトフなどの実用主義者に変身させると対応して、大祖国戦争ソ連全体の意識を実用主義よりの方向へ寄りさせたと言ってもいいと思う。ドイツの一撃は、ソ連美学を完成させ、それを表現する媒体にも兵器を加わった。スターリンがずっと前に予言した必ず来る血生臭い世界大戦の訪れは、ソ連の兵器デザインに多大な影響を与えた。結果として、ソ連の兵器は我々が知っているように、寿命が短いが、安い、頑丈、そしてそれなりの性能を持って、いかにも世界大戦向けの武器のような特徴がつけられた。しかし、ここで一つを強調したい。ソ連の兵器はいくら実用主義的であっても、その究極的な目的は武力的に世界を解放するか、資本主義の侵攻から祖国を守るのである。ゆえに、兵器の理想主義の側面はないわけじゃない。

  以上の解説によって、「なぜソ連の美学は今の時代に新しく創作されないか」、言い換えると「なぜソ連の美学はソ連から求めなければならないか」の答えは多分も見えるんでしょう。ソ連の崩壊によって、資本主義側は自分が完全な勝利を勝ち取り、人類社会の最終形態は資本主義の民主主義であると信じていた。そして、イデオロギーは一般大衆の生活から消え去り、或いはポリティカル・コレクトネスだけ求めるくだらない文化闘争に化けた。イデオロギーに対する情熱がない限り、ソ連の美学における理想主義の側面を再現するのは無理だと思う。イデオロギーの欠如の故に、ソ連は残した文化資源がミーム化され、再編集されるたびにその理想主義の中核が失い、やがてミームという抜け殻しか残されなかった。それこそなぜ私は二次創作が原作と全く別の者になっていると言ったのだ。理想主義の側面が失っている以上、理想主義と実用主義コントラストも当然、成り立たなくなってしまう。

 故に、この聖なる夜に、私はプリメロフと一緒に、神がソビエト連邦を返してくださるように祈る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで読むと、さぞ皆さんもこの文章の日本語のおかしさに気づいて、「なぜわざわざ日本語でこんなクソなげえ文章を書くのかよ」と思うのでしょう。その原因は極めて単純明快であり、私は今日本にいるからだ。もし私はアメリカにいれば、英語で書く、フランスにいれば、頑張ってフランス語を勉強して、そしてフランス語で書く。こうしないと限り、私と同じ趣味を持っている当地の人と出会うことは絶対できないと思う。